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『戦前外地の高校野球 台湾・朝鮮・満州に花開いた球児たちの夢』 読了

戦前外地の高校野球: 台湾・朝鮮・満州に花開いた球児たちの夢

戦前外地の高校野球: 台湾・朝鮮・満州に花開いた球児たちの夢

 

 『戦前外地の高校野球 台湾・朝鮮・満州に花開いた球児たちの夢』川西玲子 著、読了。

台湾映画『KANO 1931海の向こうの甲子園』を見ていたら、登場する学校名に“大連”や“京城”があった。"大連"は現在の中国 遼寧省大連市の大連商業、“京城”は現在の韓国 ソウル市の京城中学。台湾以外ではどうだったのか気になっていた。

そのものずばりの本が出ていたので、さっそく読んでみた。

 

戦前から戦中戦後のあの時代、多くは語られない外地の様子を、"高校野球"という切り口で深く見る事ができる。やはり歴史は、教科書に載らないエピソードが特に面白い。

 

 

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 映画『KANO』では冒頭で、朝日新聞社の社旗がこれでもかというくらいに出てくる。
「主催が朝日新聞だから」とか「映画の大口スポンサーなのか?」と思った人や、「韓国では絶対に上映出来ないだろうな」と感じた人もいるかもしれない。ノシ

当時、朝日新聞の主催で、第一回全国中等学校優勝野球大会(1915年、大正4年)(以下まるめて、"高校野球")が開催された。正しくは"大阪朝日新聞"の興業で、それに対して"東京朝日新聞"は「野球害毒キャンペーン」を張っていたというから面白い。

新渡戸稲造や乃木希典という歴史上の有名人の野球批判も載っている。
『武士道』の著者である新渡戸は、「野球は対手を常にペテンにかけよう、経略に陥れようとする巾着切の遊戯である」と批判していたそうだ。

その後、皇室が、健康が優れない大正天皇に代わって若い、「スポーツに熱心な」裕仁皇太子(後の昭和天皇)をアピールしたようで、"高校野球"も人気となり、内地のみならず外地でも"高校野球"熱狂と言われるくらいに盛り上がっていった。

どのくらい盛り上がったかというと、昭和7年に「加熱しすぎ、ちょっと落ち着け。」(と言ったかどうか知らないが)野球統制令(昭和7年)が施行され、大盤振る舞いの試合報酬や応援などを規制している。

そして盧溝橋事件(昭和12年)から日中戦争、昭和13年の国家総動員法と甲子園での「武士道精神の選手宣誓」((´ ・ω・`)アレ?)、太平洋戦争、野球排撃論(昭和18年)と各地の学校での野球部解散、終戦。

大正時代から昭和初期、戦中戦後の"高校野球"をとりまく環境の変化、台湾、満州、朝鮮のそれぞれ違い、球児たち、学校や社会の対応を、豊富な資料をもとに紹介されている。 

内地と遜色ない規模の朝鮮地区予選、選手の移動が大変だった満州地区予選、霧社事件の翌年に甲子園で準優勝した台湾、嘉義農林3民族構成チーム、台湾のアイデンティティなどなど。
敗戦後の外地では、引き揚げの間にも"高校野球"の試合が、道具をかき集めて行われたこともあったというから、またびっくり。

 

あとがきによると、著者の父親は昭和13年14年の満州代表の投手として甲子園に出場しており、家では当然のように戦前外地の<高校>野球が語られていたそうだ。
著者がその話をすると、ほとんどの人が「そういうものがあったのですか!」と驚いたそうだ。

 

「そういうこともあったのですか!」

本書を読んで、いろいろと驚かされた。

 

映画『KANO 1931海の向こうの甲子園』見てきた(少しネタバレ) - pelicanmemo

 

KANO 1931 海の向こうの甲子園

KANO 1931 海の向こうの甲子園