毎年この時期になると繰り返される、桜の起源論争・・・というか、韓国が毎年騒いでいるだけの話。米国ワシントンDC、ポトマック川の桜も絡めた記事が出ていたのでこれについて、備忘録代わりにメモ。
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1912年に東京市がワシントンに贈った桜は韓国産・・韓国ネットは「名前を韓国桜に変えろ」「奪われた桜が日本の象徴に…」(FOCUS-ASIA/新華経済)
ポトマック川の桜は、1912年に尾崎行雄東京市長から日米友好の象徴として贈られた桜が植えられたものだが、済州島出身のムン氏は「日本は1910年に米国に2000株の桜の苗木を贈ったが、病虫害感染が確認され、焼却された」と指摘する。尾崎市長はその後、1912年にワシントンに3020株、ニューヨークに3000株を贈ったが、ムン氏は「短期間に6000本を超える桜を集め、米国に贈れるのか、納得がいかない」として、日本が済州島の桜を採取して贈ったものだと主張。同時に「今からでも、済州で1911年ごろにソメイヨシノが採取された記録があるかもしれない。政府レベルで隠された歴史の発掘に乗り出すべきだ」と訴えている。
(赤字強調は管理人による)
元の韓国の"NEWSIS"の記事はこれ。
"4월8일은 워싱턴의 한국벚나무 독립선언일"(「4月8日、ワシントンの韓国桜独立宣言日」) (NEWSIS、공감언론)
「短期間に6000本を超える桜を集め、米国に贈れるのか、納得がいかない」そうです。
少しググってみました。
2分で答えが出ました。
-米国ワシントンD.C.の桜物語ー(伊丹市-清酒発祥の地より)
少し長めに引用させていただきます。
■ワシントンの桜は伊丹東野産
(略)
桜の寄贈を託された尾崎東京市長は早速、桜二千本をアメリカに贈りましたが、ワシントンに到着した頃には、おびただしい数の害虫が発生し、焼却を余儀なくされました。
再び計画を進めるため、尾崎東京市長は農商務省の古在農学博士に、害虫に強い桜の苗木の調達を依頼しました。博士は当時、日本で一番有名な静岡県にある興津園芸試験場で接ぎ木という方法で、丈夫な苗木を育てる計画を打ち出しました。
穂木は東京の荒川堤の桜並木から取り、そして、病気や害虫の少ない台木づくりは、植木の産地として高い園芸技術をもつ伊丹の東野村に託されました。
そして東野村では、村中の人々の努力のかいあって丈夫な台木が作られ、明治43年(1910年)出荷されました。
こうして興津園芸試験場で接ぎ木された苗木6,040本は、明治45年(1912年)、横浜港から出港され、無事アメリカに到着しました。一本も病気がない苗木に検査官も感嘆の声を上げたそうです。
日米親善の証である桜はその後、多くの人々の熱意によって守られ、見事に成長していきました。
(後略)
(赤字強調は管理人による)
FOCUS-ASIA/新華経済の記事では端折っていますが、「日本が済州島の桜を採取」という説を出したのは、ジョン・カーターコベル(1910〜1996)という東洋美術史学者。
ニューシス紙のノ・チャンヒョン特派員の持ちネタみたいですね。(失笑)
【朝鮮日報】サクラの原産地は済州島で江戸時代に日本に本格的に広まったのが定説 韓国人「我々の桜が日本の木とされてて悔しい」[8/14](2014/8/14)
アホ学者 ジョン・カーターコベルの追伸(2008/06/22 |J'sマインド(個人ブログ))
ハンギョレ日本語版の記事は、比較的に読みやすかった。
[記者手帳] 韓日のソメイヨシノ起源論争はなぜ終わらないのか(ハンギョレ日本語版)
めも
狙ったつもりはないけど、また韓国ニューシスか(失笑)
韓国メディアが"失笑"と報じた「竹島巧妙トリック」記事が、"失笑"ものだった件 - pelicanmemo