pelicanmemo

海外の話が多め。近頃は中国が多め(中国海警局・中国海監、深海潜水艇、感染症など)。

「チェルノブイリの”赤い森”」で塹壕を掘ったロシア軍は、1985年の地図を使っていた? → それ、首都キーウの地図です。

ウクライナのチョルノービリ(チェルノブイリ)原子力発電所の立入禁止区域の中でも特に放射線値が高い”赤い森”で、原発と周辺施設を占領していたロシア軍が塹壕を掘って陣地構築をしていたことが、ウクライナの原子力規制当局やIAEA(国際原子力機関)によって確認がされました。

 

ロシア軍がなぜそんなアホなことをしていたのか? 「ロシア軍は原発事故の前の、1985年の地図を使っていたからだ」という地図とテキストがツイッターSNSで話題になっています。これについて写真で検証しつつ、元ネタは誰かなど少し。
(注:この記事では「チェルノブイリ原発」やその事故に関わる部分では、ウクライナ語読みのチョルノービリではなくチェルノブイリと書きます。)

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まず、それは首都キーウ(キエフ)市の地図です。

 

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GoogleEarth地図のキーウ市とその北部の地域で、だいたいこの赤い四角で囲った範囲。チェルノブイリ原発はずっと北にあります(キーウ中心部から100kmちょっと北。日本だと、東京都心から前橋/宇都宮/水戸くらいの距離)

 

もし、ツイッターでこの地図画像を見て「これがチェルノブイリ原発と周辺の、1985年の地図なんだ」「この地図を元にして”赤い森”で塹壕を掘ったのか・・・」と思った方がおられましたらそれは勘違いです。苦情はあなたを勘違いさせた、そういった書き方をしていた発信主へどうぞ。

 

仮に、ロシア軍が首都キーウ(キエフ)市の1985年の地図を持っていたとしても、この地図1枚だけを根拠として「”赤い森”で塹壕を掘ったのは、チェルノブイリ原発爆発事故(1986年)よりも前の1985年の地図を使っていたから(地図に放射能汚染地域の記載が無かったから)」と断定は出来ません。

むしろ「ロシア軍が首都キーウ(キエフ)の攻略に失敗したのは、1985年の地図を使っていたからだ」と言った方が、ずっと気が利いているのではないでしょうか。🙂

 

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検証のため、ツイッターSNSで拡散している地図とGoogleEarthのキーウ(キエフ)市と周辺地域の最新地図に、郊外の主要道路の数本に沿って赤い矢印をひいてみた。

 

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どちらの地図でも、湖の形や川の曲がり具合だけでなく、道路や道路に囲まれている森の形などから同じ地域だとだと分かります。(角度や、撮影された時期が違うのでもちろん相違点もあります)

 

ロシアが侵攻してから1ヶ月以上も、首都キーウ(キエフ)市へのロシア軍部隊の侵攻地図、ウクライナ軍によって撃破したロシア軍の戦車の場所、チェルノブイリ原発と周辺の地図などを見ていれば、すぐに違和感を感じた人も多いことでしょう。

そもそも原発の貯水池と、このSNS地図の貯水湖では岸辺の形がまったく違います。

 

 

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では、このツイッターSNSで拡散している地図は1985年の地図なのか?

地図画像では判断できる表示はありません。

ウクライナの地元の人が見ればすぐに分かるのかもしれませんが…、そこで1985年から後に建設されただろう、郊外の大規模な高層住宅開発地域を調べてみました。
たとえば3月上旬に、キーウ(キエフ)市へのミサイル空襲で着弾したときの動画が流れていた高層住宅、そのようなところです。

ツイッターSNSの地図のこの交差点(赤い丸印)の南東の地区には住宅地を示す赤い印がありません。更地のようです。

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その交差点を、GoogleEarthで1985年から現在まで確認してみると、1985年には更地だけど、1986年から建設が始まって、1990年には5〜6棟の高層住宅が立っていることが分かります。2022年までには大規模商業施設も建設されていました。

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ツイッターSNSで拡散されているこの地図画像は、1985年以前の地図で間違いないでしょう。

 

 

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SNS拡散の地図画像とテキストの震源地は、こちら。

この地図画像は英語や日本語、韓国語のツイッターや、Facebookで拡散しています。ウクライナ語やロシア語のTelegramでも流れています。

Жорін з Азову

Telegram: Contact @MaksymZhorin

Багато хто дивується, що русаки рили окопи у Рудому лісі та не боялись опромінення радіацією. Як виявилось, нічого дивного - путінським «освободітєлям» дали польові мапи, створені ще у 1985 році. На той момент аварії на ЧАЕС ще просто не було👌🏻

 

ロシア人が赤い森に塹壕を掘り、放射線被曝を恐れなかったことに多くの人が驚いています。結局のところ、プーチンの「解放者」は1985年に作成された地図を与えられたので、不思議ではありません。当時、チェルノブイリ原子力発電所では事故は起こっていませんでした。👌🏻

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発信者はアカウント名「アゾフ大隊のゾーリン(Жорін з Азову)」、ロシアのSNSのTelegramで4月11日22:21に投稿された。

Жорін Максим Борисович — Вікіпедія

МАКСИМ ЖОРИН, ЭКС-КОМАНДИР ПОЛКА "АЗОВ": "Азов" - боевое братство. Неповторимое, искреннее, чистое. История каждого из бойцов — родная.

プロフィール(なりすましではないと想定)とwikipedia(ua)によると、ウクライナ軍の軍人で政治家、ウクライナ国家親衛隊の上級中尉、アゾフ連隊の3番目の司令官(2014−2017)。Telegramは個人的なブログで戦いの記録だそう。

 

発信元がアゾフ連隊の関係者というなら、1985年の地図がロシア軍の持ち物から見つかって、それを発表出来たとしても不思議ではないと思います。その一方で、アゾフの関係者なら、これはロシア軍を”こき下ろす”ためのプロパガンダとして使った可能性も強くなってきました。

 

翌日には、ウクライナ・メディアのUNIANがFacebookで拡散。

❗️ Появилось правдоподобное объяснение, почему российские оккупанты смело обмазывали себя животворящей украинской землицей в Рыжем лесу под Чернобылем. 

Дело в том, что они рыли окопы в Рыжем лесу возле ЧАЭС, не боясь радиации, так как у них была полевая карта 1985 года, как раз до аварии на электростанции

❗️ З'явилося правдоподібне пояснення, чому російські окупанти сміливо обмазували... - УНІАН 4月12日 0:39  Facebook

これがチェルノブイリ原発と周辺の地図も一緒に公開していればよかったと感じます。しかし、首都キーウ(キエフ)市の地図を持ち出してチェルノブイリ原発の”赤い森”と関連付けているので、ちょっと印象操作な感じがします。

 

 

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では、なぜロシア軍は、キーウ(キエフ)市の1985年の都市地図を持っていたのか?(持っていたという前提で考察)

もしかしたら、ロシア軍の部隊が侵攻すればウクライナの市民達からは歓迎をされ、首都キーウ(キエフ)へはパレード気分の行進だと兵士も将校も思い込んでいたのかもしれません。

そこで戦闘が起こる想定は無く、戦車や戦闘車両が走れる主要道路が確認できていれば、地図が古くてもおかまいなし、最新の地図を購入して用意する必要はないと思ってたのだったりして。もちろんまったくの想像です。

正直なところ、ロシア軍の軍事行動はアホだったと思いますし、マジでアホな事をしてきたと思うんだけど、なぜ1985年の地図を持っていたのか?はロシア軍のアホ達当人達にしか分からん話ですし(台無し😅)

 

今回、首都キーウ(キエフ)市と周辺地域を、GoogleEarthで古いものから新しいものまで見比べてみても、主要道路はほとんど変わっていなかったのでした。
地図が1985年のものかを調べるために、新しい橋や、新しい高速道路やバイパス道、など探してみたんですよ。ぜんぜん見つからない。もとからある主要道のルートを拡張してその道路周辺で都市開発くらいが行われてきたよう。

日本だと、首都東京のまわりの様子は1985年と2022年の現在とでは、郊外にバイパスが通ったり新しい高速道路やインターチェンジが作られたり、主要道だけで見ても大きく変わっているんですけどね。

 

 

チェルノブイリ原発のあたりに派遣されたロシア軍の部隊では、1985年のその地域の道路地図を持っていた可能性はあると思います。

でも、それ以前の問題として、根本的にチェルノブイリ原発の爆発事故と放射線被曝の教育と科学的知識が足りていなかったのではないでしょうか。

派遣された中には訓練が充分でない若い徴兵者が多かったという報道もあります。チェルノブイリ原発事故の後、ロシア国内では原発事故での被曝の被害に関して「”西側”政府による発表が間違っている」「フェイクニュースだ(今、言うなら)」と正しく伝えようとはしていませんでした。

 

ウクライナ、チョルノービリ(チェルノブイリ)原子力発電所の立入禁止区域管理局(ДАЗВ)の Крамаренко 局長によると、ロシア軍の部隊が持っていたガイガー・カウンター(放射線測定器)は1950年代〜1960年代のものだったそうです(原発スタッフがそれを目撃したのでしょう)

30数年前の地図を使っていたどころではない、70年も前の放射線測定器を持っていたのでは、正しい測定は期待は出来ません。博物館ものですよ。

もしかしたら、少しは知識があって気にしてた兵士に対して、部隊の指揮官がその骨董品を使って「アラームが鳴っていない」とか言っていたのかも。

Пан Крамаренко припускає, що російське командування не провело жодного інструктажу перед відправкою своїх солдатів у Зону, а дозиметри, які їм видали, – 50-60-х років минулого століття. Така давня техніка навряд чи працює – хіба як «психологічне заспокоєння, що у них є якийсь об'єкт, який моніторить радіаційну обстановку».

За добу в Рудому лісі роSSійські солдати могли отримати річну дозу опромінення - Telegram: @energoatom_ua

 

ロシア軍が撤退した後の4月12日に、ウクライナの国立放射線医学研究センターの専門家たちがInterfax-Ukraineが主催した記者会見で、チェルノブイリ原発の立入禁止区域・”赤い森”に立ち入ったロシア軍兵士と放射線障害の可能性について述べています。

”赤い森”で塹壕を掘って陣地構築(フレコンバッグに土砂を詰めて、防弾壁を作る)をしたロシア軍部隊の兵士たちの内部被曝の可能性を真剣にとらえています。爆発的に症状が現れるのではなく、ゆっくりと、しかし確実に、ロシア軍兵士たちの身体をむしばんでいって白血病、胃がんや肺がんとなる可能性や、心血管疾患や神経疾患など可能性は高く寿命が5~10年短くなるだろう、と述べています。(原文では”侵略者”に対してもっと強い表現をしている)。もちろん個人差はあるでしょうが…

Орки, що копалися в Рудому лісі, привезли «подарунки» з української землі - Telegram: @energoatom_ua

«російські військові або взагалі не розуміють, що таке радіація, або робили все це навмисно» – експерт - Telegram: @energoatom_ua