pelicanmemo

海外の話が多め。近頃は中国が多め(中国海警局・中国海監、深海潜水艇、感染症など)。

デレッキの語源に関する一考察

正月に段ボール箱の整理をしていたら古いCD-Rが発掘され、たわいもないテキスト.txtの中にデレッキの語源について学生時代に調べたメモがあった。

実は小さい頃はテツで、とくに蒸気機関車が好きだった。その後、テツ分は増えていかなかったけれども、運転室で罐焚きに使われる火かき棒「デレッキ」が気になっていて、県立図書館で北海道の図書館等の資料を取り寄せたりインターネット検索(当時)で公式サイトや個人のサイト(当時)などを調べてメモしていたもの。

懐かしく思い、今回改めて調べてみたところ、国立国会図書館などのデジタル・アーカイブの公開資料が増えていて補足できるところもあった。現在(2024年初頭)にインターネットやSNSで調べたものと合わせてまとめてみたい。

20240204212110(Google画像検索より)

 

公文書の資料を参照していますが、画像の使用(WEB掲載など)には申請が必要なため画像転載はあまりありません。

ちょっと長いので😅、長文を読むのが大丈夫で、お時間のあるかた向けです。

 

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「デレッキ」は’北海道方言といわれています。
テレビ番組やネット・SNSで、数年ごとに話題になるよう。近ごろでは、秋田のご当地ヒーロー 超神ネイガー@neiger_akita さんのツイート と返信とで東北地方(東北北部?)では火ばさみ(火鋏、トング、ゴミばさみ)を「デレッキ」と呼ぶと話題になっていました。

 

このブログ記事では「デレッキ」または「デレツキ」とは、特に注釈がない限り、蒸気機関車の罐焚きで使われていた「先の曲がった火かき棒」を示しています。また、石炭ストーブの焚口の扉を開閉したり、燃料の石炭や薪を動かしたり、火格子(ロステル、ロストル)をゆするなど灰や燃え滓を下の灰箱(アクカキ、アク(灰)受け)に落す用途にも使われている。
現在でも、炭や薪を燃料とするストーブや暖炉の道具、火室がある燃焼装置の施設での専門用語として残っています。

先の曲がった火かき棒「デレッキ」の語源には、オランダ語の鈎や引掛棒を示すdregが由来という説、デリック・クレーン(derrick)説,英語の火かき棒the rake説 、お雇い外国人のデリックさん説などを見かけました。
これら諸説についての考察もあとの方で書いてみたい。

 

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長くなるので、まず結論です。

当ブログ管理人の結論は、英語のthe rake説が近い。
19世紀の米国の南部訛り「de rake」が由来。北海道開拓使に雇われ官営幌内鉄道の建設に関わった米国人のお雇い外国人による話し言葉がもとで、原語の音をもとに文字にしてメモられて現場の専門用語として日本語化されたのが由来と思う。

蒸気機関車の運転室で、日本人技術者らに対して、実際の運転方法や登坂や下りなど地形に合わせた操作方法や、機関士の給炭の仕方やタイミングなど経験と技術を伝授するときに、米国人お雇い外国人は身振り手振りや英語でしゃべったでしょう。通訳がいても、専門用語を簡略な日本語に訳すのは難しいものです。

先の曲がった火かき棒の使い方を「火かき棒をつかって・・・」と説明するときに、訛った英語で「… use de rake」(今なら...use the rake)と話すと、それを日本人技術者・通訳たちは音をひろって「”でれいき”をつかって」「”でれき”をつかって」とおぼえたのではないでしょうか。

北海道の初期の鉄道建設では、米国の鉄道技師ジョセフ・ユーリー・クロフォード(Crawford, Joseph U.)が有名ですが、「デレッキ」の由来となったお雇い外国人は彼が推薦して開拓使に雇われた鉄道技術者でしょう。機械技師ハロウェイ(Holloway, Henry C.)の可能性があり、むしろ機械技師補助兼運転手マキューン(McCune, William H.)の方が蓋然性が高いと考えています。

 

次に、なぜ「デレッキ」が明治から大正・昭和にかけて、ストーブなどで使われる先の曲がった火かき棒の名称として一般化していったのか?について。

 

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なぜ「デレッキ」が明治から大正・昭和にかけて、ストーブなどで使われる先の曲がった火かき棒の名称として一般化していったのか?

北海道で官営幌内鉄道の建設計画が始まり、ジョゼフ.U. クロフォードが来日したのは明治11年(1878年)。明治15年(1882年)2月8日には北海道の開拓使は当初の予定の10年で廃止された。開拓使に雇われていたお雇い外国人の多くは明治14年に帰国しています(例外あり)。

 

明治13年(1880年)11月28日手宮 - 札幌間の約35.9km(22マイル)が開通しました。

米国から蒸気機関車2両が輸入され「義経」号「弁慶」号と命名、あわせて客車8両が輸入された。明治14年(1881年)8月、明治天皇の北海道巡航があり、小樽 - 札幌間で北海道初のお召列車が運転されました。天皇の御乗用としては最上級の客車であった「開拓使号」が使用されています。

「開拓使号」には飲料水タンクや洋式便所、ストーブが備え付けられていました。保存されている「開拓使号」には煙突も残っています。ストーブは「開拓使号」の図面の左下に描かれている○印でしょう。

20240204210644(wikipediaより。赤丸は管理人が追記した)

とても短い期間に起きたことでした。
蒸気機関車や客車といっしょに客車用の米国製のストーブなど設備も輸入されたと考えられます。それは、当時の米国の鉄道の駅や客車で使われていたポット・ベリー・ストーブ(Pot Belly Stove)や筒型ストーブ(Cylinder stove)であって、後の日本の”だるまストーブ”と同じ石炭投げ込み式だったと考えられます。
(北海道のストーブの歴史も調べていたんだけど、さらに長くなるのでここでは割愛します)

 

蒸気機関車がひく客車に据え付けられたストーブの管理と操作は、車掌の大事な仕事のひとつでした。

当時としては、身近な最先端の輸入機械設備であり、管理する車掌や道具は好奇心とあこがれの対象だったのではないでしょうか。乗客は、蒸気機関車の運転室で灼熱の火室を見ることは難しくても、石炭投げ込み式ストーブと車掌の作業を見て、まさに石炭を燃やして動いている蒸気機関車の臨場感を感じられたことでしょう。

そこで、石炭ストーブを扱う道具でも、蒸気機関車ならではの呼び方が好んで使われたと考えても不思議はありません。北海道から東北へ、北から南へ石炭ストーブとともに「デレッキ」という道具とその呼び方も伝わっていったでしょう。

 

その後、時代と工業技術が変化するにつれて、「先の曲がった火かき棒」という形状だけでなく、蒸気機関に限らずストーブなど燃焼装置の火室に差し込んで灰や燃え滓を掻きまわす機能をもつ道具に対しても「デレッキ」が使われています。

前述した、超神ネイガー@neiger_akita さんが書かれた火ばさみ(火鋏、トング、ゴミばさみ)を「デレッキ」と呼ぶ地域があるのはこの一例と思います。当ブログ管理人の経験からも、薪を燃料とするストーブやかまどでの温度調整には火かき棒よりも火ばさみ(トング)を使う方が薪や炭を動かしやすい。

 

国立博物館デジタルコレクションの資料を調べると、たとえば、明治40年(1907年)12月に刊行された『大日本塩業全書 附図』では、秋田塩務所の資料として炭骸(炭や燃え滓)を掻き出すための”爪の無い熊手(レーキ)”のような道具を「デレッキ」とし、先が曲がった火かき棒を「鎌」と記しています。

大日本塩業全書 附図 - 国立国会図書館デジタルコレクション (参考:54コマ目、55コマ目)

 

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・「デレッキ」は通称。鉄道や蒸気機関の用語では明治時代も「レーキ」。

明治43年(1910年)に刊行された『蒸汽汽罐及汽機』2版(出版:東京 丸善株式会社)に、工業用語の外国語/日本語表記について次の記述があります。

鉄道など蒸気機関の用語のうち「デレッキ」あるいは「デレツキ」は蒸気機関の汽罐火夫たちが使う通称で、英語の「レーキ」が正式名称だったそうです。この資料では特に「デレッキ」を取り上げているので、それだけ一般化していた呼称だったのでしょう。

書中の(本書の中の)工業上の用語は、外国語もしくは日本語(国語)に限らず、総じて最も広く用いられているものを基本としている。しかし、読者のため外国語に日本語を添えたり日本語に外国語を付け加えたりしている。
こうすると冗長になるけれども、現在の我が国の工業界では仕方のないことだ。例えば、「クランク」を強いて日本語に訳したら曲柄または曲拐となり、「スタッピング・ボックス」は填物穴または填料容函となる。これでは一般の読者には何のことか分からないだろう。
その他、現在、一般の作業員が普通に使用している用語もまた本書の中に収めた。例えば英語では「レーキ」という(蒸気機関の)火室(罐、カマ)の中の石炭を掻くものがある。これを汽罐火夫たちは通称「デレッキ」と呼ぶので、便宜上「デレッキ」と書いたうえで英語での「レーキ」も併記した。
(現代語訳は当ブログ管理人が噛み砕いて訳した。一部を補足した)

一、書中工業上丿用語ハ外國語若クハ國語ニ限ラズ 凡テ最モ廣ク用ヰラルヽモノヲ基トセルモ猶讀者丿爲メ外國語ニハ國語ヲ添ヘ國語ニハ外國語ヲ附セリ 是レ誠ニ冗漫ノ如クナルモ 現今我ガ工業界ニアリテハ實ニ止ムヲ得サルコトニシテ 例へバ「クランク」ヲ強テ國語ニ譯セバ曲柄又ハ曲拐トシ 「スタッピングボックス」ヲ填物穴又ハ填料容函ト譯セシモ 恐ラクハ是レ一般ノ取扱者ニハ其何タルヲ解スル能ハザルベシ 故ニ成ルベク一般ノ讀者ニ解セラルベク國語ト外國語トヲ多少併記セシナリ 其他今日一般ノ取扱者ニ普通使用セラルヽ語ハ又本書ノ中ニ收メタリ 例へバ英語ニテ「レーキ」ト稱シテ罐内ノ石炭ヲ掻クモノアリ 是ヲ汽罐火夫等ハ通俗「デレツキ」ト呼ブヲ以テ便宜「デレッキ」と記し又英語ニテ「レーキ」ト併記シタリ、 
一、本書ハ及ブダケ各般ノ例ニ渉リテ研究者ニ滿足ヲ與ヘンコトヲ期シタリシモ或ハ漏脫ノコトナシトセズ 是等ノ欠點ハ他日補遺ノ上完成ヲ期セントス
明治四十一年六月
著者識

蒸汽汽罐及汽機 - 国立国会図書館デジタルコレクション (3コマ目)

20240204210637

 

 

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・当時の米国南部訛り、"de shovel",  "de rake"

「デレッキ」の語源について、当ブログ管理人の結論は、英語のthe rake説が近い。
19世紀の米国の南部訛り「de rake」が由来。北海道開拓使に雇われ官営幌内鉄道の建設に関わった米国人のお雇い外国人による話し言葉がもとで、原語の音をもとに文字にしてメモられて現場の専門用語として日本語化されたのが由来だと考えています。

蒸気機関車の運転室で、実際の運転方法や登坂や下りなど地形に合わせた操作方法、給炭の仕方やタイミングなど経験と技術を伝授するときに、たとえば先の曲がった火かき棒の使い方を「火かき棒をつかって・・・」と説明するとき、訛った英語で「… use de rake」(今なら...use the rake)と話すと、それを日本人技術者・通訳らが音をひろって「”でれいき”をつかって」「”でれき”をつかって」とおぼえたのではないでしょうか。

 

 

19世紀の米国で英語の定冠詞 "the" が"de"と使われる例は、当時の南部の黒人の子守歌や、ゴールドラッシュの時代の文献でも使われた例が多く見つかります。

1908年に刊行された『HUMOROUS HITS  AND How to Hold an Audience』(PROJECT GUTENBERG より)の中の子守歌にも次の一節があります。

Who all time er-losin' de shovel en de rake?
Mammy's li'l' boy, mammy's li'l' boy!
Who all time tryin' ter ride 'e lazy drake?
Mammy's li'l' baby boy.

The Project Gutenberg eBook of Humorous Hits, by Grenville Kleiser.

「おお、スザンナ」の作者スティーブン・フォスター(Stephen Collins Foster、1826年7月4日 - 1864年1月13日)がつくった当時の楽曲にも同じようなフレーズがあります(彼の楽曲の作詞の解釈はここでは触れません)

(メモを書いた昔に、"de rake"(熊手) や"de shovel"(シャベル)、"de hoe"(鋤)など道具を南部や西部の労働者が綴った文章の例をインターネットで調べて見かけていましたが、メモのリンク先はほとんど閲覧できなくなっていました。残念)

 

ゴールドラッシュ(1848-1855年)、南北戦争(1861-1865年)。北海道の開拓使(明治2年-15年(1869-1882年))、米国の鉄道技師ジョセフ・ユーリー・クロフォードが初来日したのは明治11年(1878年)。北海道の鉄道関係のお雇い外国人の中に、肌が黒いアフリカ系アメリカ人がいたという資料は見かけたことはありません。まさに米国での鉄道開発黎明の拡大期であり、鉄道関係の仕事に従事する労働者たちも、単身であるいは家族を伴って西部へ、南から西へと人間の移動と話し言葉の伝播は激しかったことでしょう。

 

 

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・「デレッキ」の由来となったお雇い外国人は誰か?

北海道の開拓使での官営幌内鉄道の建設計画や、黒田清隆、ホーレス・ケプロン(Horace Capron)が果たした役割、米国の鉄道技師ジョセフ・ユーリー・クロフォード(Crawford, Joseph U.)が雇われた経緯については省略します。Wikipediaや関連書籍、資料でたくさん紹介されているのでそちらをご覧ください。

米国の鉄道技師クロフォード(Crawford, Joseph U.)は明治11年(1878年)に初来日をし、現地調査などをおこなった。明治12年(1879年)に資材の購入と技術助手を雇い入れる準備のため米国に一時帰国しています。

明治13年(1880年)6月から7月にかけて、クロフォードが推薦した米国人技術者6人、土木助手ブラウン、機械技師ハロウェイ、鉄道敷設技師レイノルズと同助手ホイラー、車両技師ストリクランド、鉄橋技師ウィンが来日。そして追加で明治14年(1881年)4月に、機械技師補助・運転手マキューンが来日しました。
(英文の姓名、雇用期間や帰国後の居所を後に記します)

専門分野と姓名表記は、北海道大学の北方資料データベースの各々の雇用と支払い等の資料および『開拓史時代における技術教育と技術普及』(高倉新一郎 著, 1965年3月、北海道大学農經論叢)、北海学園大学の『総合研究2018‐2020年度成果報告書 (PDF)』、『お雇い外国人 - 開拓』(原田一典 著、昭和50年(1975年)発行、鹿島出版会)の記述を参考としました。

 

それぞれの専門分野が違うことがよく分かります。

たとえば、鉄橋が専門の技師ウィンが、蒸気機関車の運転や機関士が火室(カマ)の中の石炭を扱う道具「デレッキ」の呼び方に影響を与えた?、と考えにくいのは分かってもらえるでしょう。ウィンは病気を理由に半年ほど(明治14年1月)で早期解雇されているのでなおさらです。

可能性が高いのは、機械技師ハロウェイか機械技師補助兼運転手マキューンです。

ハロウェイの職名は「機械技師」や「機関技師」「器械手頭」など文献によって若干の違いがありました。ハロウェイの雇用契約書の資料見出しでは「開拓使雇米国人機械技師」あるいは「機械技師長」で「幌内鉄道の機関車や車輌の組立、修理を指導。」となっています。

幌内鉄道の機械技師長として雇傭契約書(英文写) / ハロウェイ

 

機械技師ハロウェイは、実はクロフォードが推薦した米国人技術者6人の中で唯一、名前と職歴と能力を書いた上で推薦をしている人です。ぜひとも欲しい人材だったのでしょう。もしかしたらクロフォードが来日前に所属していて、帰国後には副社長補佐役まで勤めたペンシルバニア鉄道で一緒に仕事をしていたのかもしれません。
米国より同伴の鉄道関係補助技師等の姓名通知 / クロフォード(横浜)
このクロフォードの自筆と考えられる声明通知・推薦状の資料は、全文の画像が公開がされているのですが、北方資料データベースの公開画像・所蔵資料のうち利用(掲載・放映・WEB公開等)に「申請が必要」なものなので、当ブログ記事で画像の転載はしていません。北方資料データベースの公開画像でご確認ください。

 

北方資料データベースには、クロフォードが、ハロウェイとストリックランドおよび日本人関係者らと撮影した白黒写真が公開されている。写真中央がクロフォードで、向かって右側がハロウェイとストリックランドと思われます。
クロフォードの部下と日本人たち

20240204210628(こちらもWEB公開等の利用は「申請が必要」な公開資料なので、大きくぼかした加工画像として引用しておきます。オリジナルは北方資料データベースの公開画像でご確認ください。)(この引用でも問題があるなら削除します。以下同)

 

鉄道技術者を推薦するための募集方法は調べきれませんでした。クロフォードや米国の関係者が知る人材やその推薦だったのではないでしょうか。

機械技師 ハロウェイ(Holloway, Henry C.)の雇用契約期間は、明治13年(1880年)6月12日から明治14年(1881年)9月12日?)と記されています。北方資料データベースの資料見出しに「?」が付いているので正しい年月日は曖昧ですが、所属を変更した継続雇用ではないようです。
米国帰国後の居所はギロイだそう (ブログ管理人注:Gilroy?、カリフォルニア州サンタクララ郡ギルロイ?)。(『お雇い外国人 - 開拓』(原田一典 著、鹿島出版会、昭和50年(1975年)発行)より)。

 

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・知名度が低いお雇い外国人マキューン。

開拓史時代における技術教育と技術普及』(高倉新一郎 著, 1965年3月北海道大学農經論叢)によると、クロフォードが推薦し開拓使が雇用した鉄道技術者たちは「大部分は 14年中に解雇帰国したけれども,機関師だけはその後も止って,後継者の養成に当ったようである。」と書かれている。しかし、この資料では最初にクロフォードが最初に推薦し雇用された米国人6人だけしか記されておらず、明治14年に追加で雇用された7人目のマキューンは入っていません。
もしかしたら著者はハロウェイとマキューンを混同して書いてしまったのかもしれません。

 

実のところ、北海道の鉄道関連のお雇い外国人の中でマキューン(McCune, William H.)の知名度は高くないのです。

明治17年(1884年)に土木学会から発行された『明治以後本邦土木と外人』の『第二編 鐵道の部』でも、クロフォードの他には、土木師補 シ・デ・ブロウン、器械師 エッチ・シ・ホロウェイ、造軌師 ジョン・レノルヅ、造軌補手 ジョン・ホウイラン、鐵道築橋師 ステッフェン・デ・ウイン、造車師 デ・チストリック・ランド の6人しか記されていません。
(読めば分かると思うけど、外国人の姓名を日本語表記するときの表記揺れのためカタカナ表記が微妙に違っています)

明治以後本邦土木と外人 - 国立国会図書館デジタルコレクション

第二編 鐵道の部 (http://library.jsce.or.jp/Image_DB/human/sanada/book/honpou/2.pdf)(pdf、土木学会 真田秀吉旧蔵資料) 、土木学会のデジタル・アーカイブ

 

現在のようにデジタル・アーカイブで古い資料が多く公開され、網羅的に検索できなければ探すのは難しかったでしょう。

 

マキューン(McCune, William H.)は、明治14年(1881年)3月14日付けで、日本への渡航費用250円の受領書が残っています。雇用期間は明治14年3月14日〜16年9月30日で、明治15年に開拓使が廃止された後は農商省・北海道事業管理局で継続雇用されました。

開拓使での鉄道関係のお雇い外国人のうち継続雇用の記録があるのはマキューンだけです。

日本への船賃250円受領書 / マキューン(サンフランシスコ)

 

マキューンの職名は、北方資料データベースの資料見出しでは「開拓使雇の米国人鉄道土木補助技師」と書かれています。その一方で、『お雇い外国人 - 開拓』(原田一典 著、鹿島出版会、昭和50年(1975年)発行)では「鉄道機械手補助」と記載されていて、いまひとつはっきりしませんでした。

今回、さらに各所のデジタル・アーカイブで詳しく調べてみたところ、国立公文書館アジア歴史資料センターで公開されている北海道立文書館の資料に、マキューンなど外国人雇用者に対する日曜日手当て支給に関する資料が見つかりました。

開拓使裁録の原本ではマキューンは米国人器械師補助兼運転手で、専ら汽車(注:蒸気機関車)運転に従事と記されています。

20240205194910「米国人器械師|補助兼運転手マキューン」

「器械師補助●運転手」の「●」にあたる文字は「兼」だと思いますが、ちょっと自信がありません。AI認識OCRでは「直」が表示されます(これだと意味が分からない)。

該当しそうな文字を日本古典籍くずし字データセットを使って調べ、書く時の筆の動かし方が似ているものを探してみました。「兼」(U+517C) | 日本古典籍くずし字データセット


次の引用文は、公文書館テキストの原文ママで、OCRによるものでしょう。「器械師補助●運転手」の「●」にあたる文字は表示されていません。しかも、ところどころおかしな日本語になっています。

乙第三拾五号 長官 十四年五月廿四日 望月五等属調 三等出仕 旧会計課 書記官 旧記録課 雇外國人手當金給與ノ儀上申 當使管内幌内小樽間鉄道途從木ニ付テハ雇外國人土木歸補助ブローン外五名日曜日越手當給與ノ儀本年一月乙第三号上申ノ趣御聞届相成居處今般雇入居米人器械師補助運轉手マキユーン儀モ専ヲ汽車運轉ニ從事者ニテ憎奨勵ノ爲メ乾葉在ヘ前六名ノ者目標働越手尚トシテ定式月給ノ外談月給於ノ一日當リ臣ハ割ヲ加タル員給ヲ年五月一日以降前日頼右上申ノ通給與爲條氏段上申居也 十四年五月三十一日 開拓長官黑田清隆 太政大臣三條實美殿 雇外國人日曜日働越手當 月給額 一日分手當 職務 姓名 銀貨百七拾五圓 拾円三拾五銭六日 器械師補助直運撃 マキユーン

雇外国人マキューン、手当金給与ノ件 (資料作成年月日    明治14年5月31日)

20240205195156

これは当記事でとくに重要な資料なのですが、北海道立文書館の資料であり画像の刊行物への掲載は問い合わせが必要とのことなので、著作権に抵触しない(と思う)くらいにぼかした画像を引用して掲載しています。

 

最初、マキューンは、彼が来日した時期から、病気を理由に解雇されたウィンの後継であり鉄橋土木技師として追加雇用されたものだと思っていましたが、この資料を見つけたのでその考えは変えました。

 

マキューンの雇用時には「鉄道器械補助」と記されているので、『お雇い外国人 - 開拓』(原田一典)ほかの資料の記述が間違いだったわけではありません。

お役所しごとでありがちなとこを想像してみますと、専ら蒸気機関車の運転手として従事させる名目ではお雇い外国人を雇用するのは難かしかったので、そこは明記せず「鉄道器械補助」とだけ書いたのではないでしょうか?

乙第貮拾貮号 十四年四月十二日 三等出仕 有岡義國調 書記官 記録課 雇外國人到着ノ儀上申 客歳十二月中甲第四十二号ヲ以米國人ウイリヤム、マクキユウン鐵道器械補助于トシテ雇入ノ義日白海ノ月俸銀貨百七十五円ニテ満二ヶ年間約定相整本月十一日東京到着候條此段上申候也 明治十四年四月十三日 開拓長官黑田清隆 太政大臣三條實美殿

雇米国人マクキュウン、本国ヨリ東京到着ノ件 (資料作成年月日    明治14年4月13日)

雇用した後は、日曜日にも蒸気機関車の運行は必要であり日本人運転手だけにはまかせきれなかったので、マキューンに特別に休日手当てを支給して汽車運転に携わらせていたと考えられます。

開拓使廃止の後も帰国せずに継続雇用となっています。マキューンとしても契約外の業務だったのではなく、ハロウェーが解雇され帰国したあとも北海道で引き続き蒸気機関車の運転手や機関士の養成にあたったと考えられます。

マキューンは明治14年3月14日から16年9月30日まで、2年半にわたって北海道で仕事をしていました。その間、雇用や給料などにまつわる公文書のほかにまったくと言っていいほど名前が出ていません。開拓使やその後の農商省・北海道事業管理局では、お偉方の記憶や記録にのこるような上流階級のサロンや行事に関わる機会が無かったのでしょう。労働者階級の人材で、話し言葉もその英語訛りのまま、現場での蒸気機関車の運転や教育に関わる技術者の仕事をつづけたのかもしれませんね。

 

北海道開拓使が雇用したお雇い外国人たちの職名と姓名、雇用期間、米国への帰国後の居所は次の通り。(前述したように、姓名の日本語表記には文献により表記揺れがある)

鉄道技師 クロフォード(Crawford, Joseph U.)(明治11年12月13日~14年8月31日)、帰国後の居所:フィラデルフィア。

土木助手 ブラウン(Browne, John Douglas )(明治13年6月11日~14年9月11日)、帰国後の居所:サンフランシスコ。

機械技師 ハロウェイ(Holloway, Henry C.)(明治13年6月12日~14年9月12日?)、帰国後の居所:ギロイ (Gilroy?、カリフォルニア州サンタクララ郡ギルロイ?)

鉄道建設造軌手 レイノルズ(Reynolds, John)(明治13年6月12日~14年6月11日)、帰国後の居所:ロサンゼルス

同助手:ホイラー(Whelan, John)(明治13年6月12日~14年6月11日)、帰国後の居所:ロサンゼルス

車両技師 ストリクランド(Strickland, David taylor(またはStrickland, Dwight Tyroll))(明治13年6月12日~14年6月11日)、帰国後の居所:ボルチモア

鉄橋技師 ウィン(Winn, Stephen D. )(明治13年7月10日~14年1月30日・病気解雇) 帰国後の居所:フィラデルフィア

器械技師補助 運転手 マキューン(McCune, William H.)((明治14年3月14日~16年9月30日)、帰国後の居所:ギロイ (注:機械技師 ハロウェイと同じ)

帰国後の居所は『お雇い外国人 - 開拓』(原田一典)から引用しました。半分は米国西部からだったようです。

 

幌内鉄道など蒸気機関車の日本人運転手や機関士による、開拓使が廃止された後の手記は参照していません(あるかどうかも知らない)ので、実は間違っている可能性も否定はしません。

 

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・ほかの「デレッキ」の由来と言われている説について考察。

先の曲がった火かき棒「デレッキ」の語源には、オランダ語の鈎や引掛棒を示すdregが由来という説、デリック・クレーン(derrick)説,英語の火かき棒(rake)に定冠詞をつけた the rakeという説 、英語の火かき棒(rake)に車掌(dude)がついて短くなった説、お雇い外国人のデリックさん説などを見かけました。

 

まず、お雇い外国人のデリックさん説について。

明治初期〜中期のお雇い外国人に、姓名どちらかがデリックという人は見当たりませんでした。

発音が近いのはヨハニス・デ・レーケ(Johannis de Rijke)氏かもしれません。淀川や木曽川の改修、滋賀疎水などに関わったオランダ人で「近代砂防の父」「治水の恩人」と呼ばれます。富山県の常願寺川の事業に関して「これは川ではない、滝だ」と言ったともいわれる人です。明治6年(1873年)から明治36年(1903年)まで30年間、2度の帰国を除いて日本に滞在してさまざまな業績をあげたひとです。
「デレッキ」とは地域も専門分野もまったく重なりません。彼が由来なら、むしろ関西や日本の中西部から広まったでしょう。

 

北海道の開拓使庁舎にデリック氏がいて、彼が由来という説もあったそうですが、北海道開拓使のお雇い外国人78人(アメリカ人48人。ロシア人5人、イギリス人4人、ドイツ人4人、オランダ人3人、フランス人1人、中国人13人) に、そういう名前の人はいませんでした。お雇い外国人以外の外国人も出入りしていたでしょうが、根拠とするには薄弱と思います。。

 

 

デリック・クレーン(derrick)が由来という説。

デリック・クレーンの先端が曲がっているところが「デレッキ」と似ているからだそうです。小林多喜二の小説『蟹工船』にデレッキが登場する有名なシーンがあるので、そこから船舶関係が語源だと連想したのでしょう。

しかし明治初期〜中期の船舶のデリック・クレーンは、帆船のマストなどをデリックポストとして、先端に滑車が付いたブーム(腕)をマストの根元に設置し、マストから釣り索(引き揚げ用ロープ)を伸ばすというもので、「デレッキ」の特徴の「先の曲がった火かき棒」とは、当時はまだ似ていないものでした。

 

20240204210640

 

 

英語の火かき棒(rake)にに車掌(dude)がついた説は、

英語の”rake"(レーキ、鍬)が「デレッキ」の由来だと推測した上で、あたまの「デ」について考えすぎたのでしょう。車掌が使っていたほかの道具に「デ」からはじまるものはありません。米国南部の訛った英語の "de rake" 発音が語源と考えた方がすっきりすると思います。

 

 

オランダ語の鈎や引掛棒を示すdregが由来という説。

江戸時代末期までは、英語よりもオランダ語の方が重要な外国語であり、解剖学の日本語訳「解体新書(ターヘル・アナトミア)』に代表されるように、オランダからの技術移転や専門書の日本語訳が多かったのは確かです。だから、まずオランダ語と発想するのは不思議ではありません。

その一方で、明治時代の蒸気機関の日本への普及に関しては、オランダよりも英国や米国の方が先んじていました。むしろオランダは日本への技術移転を長く狭めていたため、技術革新が進んだときのスタート・ダッシュで米国や英国に先を越されたように感じられます。

 

北海道のストーブの歴史では、北海道奥地で暖房が必要なため、安政3年(1856年)に梨本弥五郎と武田斐三郎(五稜郭の設計者)が箱館(函館)に入港していた英国船(オランダ船ではない)へ見学に行って、船の”カッヘル・ストーブ”を調べて絵図面を作り製作したのが始まりとされています。

紛らわしいことに、カッヘル(kachel)はオランダ語で"ストーブ"のことなので、日本語に直訳したら”ストーブ・ストーブ”となります(笑) 外来語をもとにカタカナ日本語化したときに起こるあるあるネタですね。

彼らが箱館(函館)に入港していた英国船で写生した絵図面から、火格子(ロースター、オランダ語でロステル(ロストルとも))が使われたストーブということが分かっています。このカッヘル・ストーブを参考にして作られた国産ストーブは、本体が鋳物、煙突は陶器の筒を重ねた構造で、"くわひる"や"火辺炉"と呼ばれていました。
最初に作られた"くわひる"は6台(予定数22台)で、2台は樺太に4台は宗谷に送られ番屋に設置されたそう。ただ、宗谷では時化のため箱館から輸送されていた”くわひる(石炭ストーブ)”が届かなかったので、模型を元にして宗谷のアイヌ人の鍛冶職人が作った別バージョンだったらしい。

 

その後、オランダ由来の"くわひる"ストーブが北海道各地で普及した形跡はみられません。

明治12年(1879年)には、アメリカ製のストーブをモデルにして工業局工作所が国産ストーブを作ったけれども、高価で大型だったためまったく普及せず札幌の庁舎で使われるくらいだったそうです。

その一方で、翌年の明治13年(1880年)に開業した幌内鉄道では、お召し列車の「開拓使号」の客車にストーブが使われていました。

北海道では「ストーブ」のはじまりと普及はオランダ語由来と考えるよりも英語由来であり、米国の鉄道由来と考える方が蓋然性が高いでしょう。

いわゆるストーブを「くわひる」と呼んでいたのは明治初期だけで、明治後期には「ストーブ」という英語の呼び名が定着していたそうです。

あと、オランダ語のdreg を調べてみると、釣り針や鈎の引っかける先端部分のことで、引掛棒には必ずしも当てはまらないようです(19世紀当時は分かりませんが・・・)。

 

 

なぜ、英国で暖炉用などで使われていた、先端・途中に鉤が付いている火かき棒「ポーカー(poker, fire iron)」やまっすぐな形の「ダート(dart)」と呼ばれなかったのか?

火かき棒「ポーカー」に対して「レーキ」は"ashpan rake"であり、ショベル"clinker shovel"と合わせて、それらの用途は「デレッキ」と違い、火格子(ロースター)の下に落ちて溜まった灰などを掻き出す道具だったようです。

 

明治42年(1909年)に西部鉄道管理局(山陽線・四国および関門・関釜航路所管、神戸)から刊行された『鉄道法規一般』では、「物品取扱および制服、機関庫その他の物品、取扱順序」の章で、「レーキ」「ポーカー」「ダート」と記されています。西日本の鉄道では、英国式の用語が正式名称として使われていた証でしょう。

第五十四条 機関車を無火回送の際、途中の機関庫員において運送する場合は「レーキ」「ポーカー」「ダート」等は取り纏め縄締めとしてその員数ならびに道具箱「ジャック」機関車灯等の個数を記載したる送付書を添付し授受に簡易ならしむべし。ただし道具箱は鎖錠封印し鍵は回送先機関庫に送付するものとす。

第五十四條 機關車無火廻送ノ際途中ノ機關庫員ニ於テ傳送スル場合ハ「レーキ」「ポーカー」「ダート」等ハ取糴メ繩締トナシ其員數竝道具箱「ジャック」機關車燈等ノ箇數ヲ記載シタル送附書ヲ添付シ授受ニ簡易ナラシムヘシ但道具箱は鎖錠封印シ鍵ハ廻送先機關庫ニ送附スルモノトス
第六 物品取扱及制服 機關庫其他物品取扱順序

鉄道法規一般 - 国立国会図書館デジタルコレクション (169~170コマ目)

 

新橋ー横浜間のはじめての鉄道開業のときから、客車を温めるための石炭ストーブが設置されていたら状況は違っていたかもしれません。

英国式の蒸気機関車の運転室で、作業手順を英国人が教えたなら、手振り身振りや英語で「... use the rake」と話したでしょうから、日本人技術屋や通訳は定冠詞the を聞き分けることが出来て、「レーキをつかって」とおぼえたでしょう。

 

しかし、日本で最初の鉄道は英国式であっても、「デレッキ」が広まるきっかけとなったのは北海度開拓使の米国式の鉄道と設備だった。客車や機材は米国から輸入されたもので、道具の扱い方や呼び方も当時の米国式がもとになって日本へ技術継承されたのでしょう。

その後、大正時代に、ドイツ製の貯炭式ストーブが輸入され国産のフクロク(福禄)・ストーブが製造されるなど変化がありました。それでも、石炭や木炭、薪を燃料とするストーブの火室に差し込んで燃料を動かしたり、灰や燃え滓を下に落としたり掻き出したりする道具は「デレッキ」と呼ばれ続けていたと考えられます。

 

 

今回あらためて調べてみると、2018年に秋田のご当地ヒーロー 超神ネイガー@neiger_akita さんがツイート で東北地方(東北北部?)では火ばさみ(火鋏、トング、ゴミばさみ)を「デレッキ」と呼ぶと書かれ、それを契機にふたたびこの話題がひろがったようです。

 

これからも東北地方を舞台とする作品、たとえば青森が舞台のひとつで方言も時々使われるマンガ『ふらいんぐうぃっち』(石塚千尋 作)などで、 火ばしを「デレッキ」と呼ぶ描写があったなら、ふたたび「デレッキ」とは何か?北海道と東北での形の違いやデレッキの語源などがネットSNSで話題になるのかもしれませんね。

 

 

 

今回あらためて調べていて残念だったのは・・・、当時参照してメモっていたインターネット上のサイトURLの多くが無くなっていたりサービス終了で情報にアクセスできなくなっていたことでした。またはアクセス条件が厳しくなったことで、当時コピペしてメモっていたテキスト情報のソースにたどり着きにくくなっていました。

メモに残していた”とある個人ブログ”の解釈が、具体的な説明はほとんどなかったけれども、米国南部の訛り由来というところは同じでした。しかし、すでにそのURLのブログはすでに公開されていません。

うちのブログだって50年100年と継続されるようなサイトではありません。それでも知識は繋がれていくことを期待したいものです。

 

 

官営幌内鉄道 - Wikipedia

開拓使 - Wikipedia

北海道事業管理局|アジ歴グロッサリー

開拓使号客車 - Wikipedia

開拓使官有物払下げ事件 - Wikipedia

 

米国より同伴の鉄道関係補助技師等の姓名通知 / クロフォード(横浜)

鉄道関係御雇外国人の出身地・職名・旅費・給料に関するメモ(英文) / 〔開拓使〕

開拓使の鉄道建設測量補助技師として雇傭契約書(写) / サンフランシスコ日本領事柳谷賢太郎

幌内鉄道の機械技師長として雇傭契約書(英文写) / ハロウェイ

幌内鉄道車輌組立修理者として雇傭契約書(写) / ストリクランド

ホイーラン雇入契約書(英文写) / ホイーラン

給料前借依頼 / ウィン(東京)

日本への船賃250円受領書 / マキューン(サンフランシスコ)

鉄道土木技師マッキューン氏赴任並び管切断機械船積の通知(写) / クロフォード

会計課より786円受領し、横浜東洋銀行口座へ振込みの委任状 / マキューン(札幌)

会計課より864円受領し、横浜東洋銀行口座へ振込みの委任状(写) / マキューン(手宮)

アジア歴史資料センター

国立公文書館 デジタルアーカイブ

 

蒸汽汽罐及汽機 - 国立国会図書館デジタルコレクション

火夫機関手登用試験技術問題解答集 - 国立国会図書館デジタルコレクション

作業教範操作票 製鋼編 - 国立国会図書館デジタルコレクション

鉄道法規一般 - 国立国会図書館デジタルコレクション

大日本塩業全書 附図 - 国立国会図書館デジタルコレクション

通俗瓦斯機関使用法 - 国立国会図書館デジタルコレクション

汽罐の焚法 : 通俗説明 - 国立国会図書館デジタルコレクション

火夫教科書 機関之部 - 国立国会図書館デジタルコレクション

運用術教科書 巻1 - 国立国会図書館デジタルコレクション

海軍新兵必携 - 国立国会図書館デジタルコレクション

海軍圖説 - 国立国会図書館デジタルコレクション 

官報 1885年12月25日 - 国立国会図書館デジタルコレクション

地域資源開発の総合的研究 北海道の産業遺産、北海道の歴史遺産、北海道の 文化遺産、北海道の自然遺産からの接近と再構築 (pdf)

開拓史時代における技術教育と技術普及 : HUSCAP

鉄道院年報 明治42年度 國有鉄道之部、私設鉄道之部、韓国鉄道管理局之部 - 国立国会図書館デジタルコレクション

暖房車 - Wikipedia

日本鉄道史 上編 - 国立国会図書館デジタルコレクション

明治以後本邦土木と外人 - 国立国会図書館デジタルコレクション

第二編 鐵道の部 (http://library.jsce.or.jp/Image_DB/human/sanada/book/honpou/2.pdf)(pdf、土木学会 真田秀吉旧蔵資料) 、土木学会のデジタル・アーカイブ

鉄道管理局 - Wikipedia

 

火かき棒 - Wikipedia

Fire iron - Wikipedia

Lineside and Small Parts | Mysite (模型サイト)

Traction Engine Parts | Mysite (模型サイト)

 

 

デレッキの謎 Supplement to "derekki"
http://homepage3.nifty.com/hakuhyodo/zatsu/derekiho.html

デレッキとは何ですか?: 翻訳blog
http://sanjuro.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_195e.html

凶器としての火掻き棒: 翻訳blog
http://sanjuro.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_9cd0.html

北海道デジタル図鑑〜100の物語[伝統・文化]ストーブ
http://www.hokkaido-jin.jp/zukan/story/03/18.html

ハケ、スコップ、デレッキ、アクカキの4点セット
http://entotuya.com/work/accessories/accessories.html

デレッキの意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio辞書

じょんばの意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio辞書

小樽弁事典
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札幌の住宅事情 - ものごと探訪 - 北海道歴史探訪 - なまら北海道
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「函館市史」通説編1 3編5章13節3-9〜11 - 函館市
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「函館市史」通説編2 4編序章4節3-1
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「函館市史」通説編4 7編2章コラム37
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武田斐三郎 - MAN OF THE 北海道 - 北海道歴史探訪 - なまら北海道
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#13 稚内 - 市町村探訪 - 北海道歴史探訪 - なまら北海道
http://rekitan.namara-hokkaido.net/entry.php?id=17

はこだて人物誌 名村五八郎
http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/hensan/jimbutsu_ver1.0/b_jimbutsu/namura_goha.htm

燃料と暖房の変遷
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暖房と燃料(下)
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宮古なんだりかんだり *岩手県宮古市/三陸宮古の話
http://www.geocities.co.jp/jinysd02/miyako_gatari6.html サービス終了のお知らせ

小樽散策 〜手宮・祝津編〜

北海道炭礦鉄道の客車 - Wikipedia

だるまストーブのお話
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ダルマストーブ - Wikipedia

十能 - Wikipedia

Good Time Stove Company - Antique Stove Restoration & Sales

 

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旧来正旅館の時刻表―旧天北線の変遷に触れてー(2) - 森勇二の部屋
http://moriyuzi.blog.drecom.jp/archive/73

日本における雇傭の詳細照会並びに自己の経歴通知(写) / ゴージョ

北海道・地質・古生物: 「北海道鑛山畧記」:(一)鉱業略沿革より

第六部 とぼけた人達 97 村上彰一君の御無沙汰 落葉籠 : 随筆集 - 国立国会図書館デジタルコレクション

名士奇聞録 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

草競馬 歌詞の意味 和訳 Camptown Races フォスター

スティーブン・フォスター - Wikipedia

"Steam” by Elmer Rhodes
http://rhodesmill.org/jer-steam.html

Railroad Language -- Lingo -- Dictionary

Dude - Wikipedia